2017年 9月1日 更新 〈第66回〉

危うき野党第一党の民進党

代表選に見る党分裂の予兆

 日本列島が各地で豪雨に見舞われている最中で、9月1日民進党の代表選が行われた。だが、各種世論調査の支持率低迷が影響したのか、野党第一党の党首選とは思えない程に代表選は低調だった。

 党内では、同じ政治経歴を持つ前原誠司氏と枝野幸男氏の一騎打ちだったが、結局、前原氏が枝野氏を制して新代表に選出された。

 前原氏は捲土重来、再び党代表に返り咲いた事になる。

 民進党は先の東京都議選を目前にして、離党者が相次ぎ、とうとう都議選で惨敗、そして蓮舫代表が追い込まれるように引責辞任し、民進党は一年も経たずに再び代表選の実施を余儀なくされた。

 昨年、民進党が党名を民主党から民進党に変更し,党首に蓮舫氏を選出、幹事長に元首相の野田氏を就けて、党のイメージ刷新と党の再生を図ろうとしたが、敵わなかった。

 筆者は東京都議選の前から、民進党の惨敗を予見して、「そろそろ民進党は次の代表選の準備に入った方がよかろう」と苦言を呈してきたが、まさしくその通りになった。

 さて、民進党の新代表に就任する前原氏には心から祝意を表するものの、しかし、この政党が本当に持久力のある政党なのかどうか、大いに疑問がある。総じて言えばこれが今回の代表選を通じての、偽らざる印象である。

 そもそも、代表選を争った2人の候補者が同じ政党にありながら、政治スタンスや個々の政策に関する考え方が根本的に異なっていることだ。

 先ずは、政策面では国の基本法である憲法改正の問題だ。前原代表が「議論は大いに結構だ」と言えば、枝野氏は「今はその必要はない」という。いわゆる「推進」と「阻止」の大いなる違いだ。また、2019年からの消費税増税の問題でも前原氏が「増税することは法律で決まっている」と主張すれば、枝野氏は「今は増税すべきではない」という。

 それ程に考え方が違うなら、同じ政党に居ること自体がおかしい。だから民進党は政治理念が一致しない寄り合い所帯と言われるのだ。

 そして政治スタンスでは、共産党との関係や野党共闘の問題だ。前原氏は共産党とは「組まない」が枝野氏は「組む」という。そのどちらでもなければ、民進党は、他党との共闘無しで党内が一丸となって、自主路線で自公に対抗しなければならない、しかし、民進党は常に党分裂の危機を抱えている。現在のところ同党には離党ドミノによる分裂の兆候は見えても、党内が一丸となる兆しはほとんど見えてこない。直近の世論調査でも支持率は低迷したままだ。

 従って、枝野グループが前原新執行部に歩み寄らない限り、今回の代表選によって、民進党はむしろ党分裂の方向に流れが加速していくのではないのか。

 なかんずく、沖縄の基地問題に関しても両者のスタンスは違う。前原氏は、沖縄県民とはしっかりと話し合うことを前提にして、現行の辺野古移設は日米合意を理由にして「容認」しているが、一方の枝野氏はこの頃になって、共産党や社民党と同じく明確に「白紙撤回」を打ち出している。どうも、枝野氏は民主党時代に鳩山内閣が「最低でも県外」の公約を破って、「辺野古」へ回帰させたことを忘れているようである。 

 党分裂の危機を抱えた前原新執行部の今後の党運営を引き続きしっかり、見守りたいと思う。

 

ーーーーーーーーー<神山吉光が吠える・特別企画>ーーーーーーーーーーー

雑誌『沖縄世論』編者対談 回想録 山中貞則 初代沖縄開発庁長官 わが思い わが沖縄 &神山吉光① 〜編者対談で明かす沖縄戦後史の空白と史実の裏側

「沖縄」を大いに語る山中貞則元国務大臣(1990年10月)

「沖縄」を大いに語る山中貞則元国務大臣(1990年10月)

はじめに

 沖縄の復帰前後に、「目白に闇将軍。平河に昼将軍あり」━と豪語したのは通産・防衛・環境・総務・沖縄開発庁などの各大臣を堂々歴任した実力の政治家山中貞則である。

 沖縄の復帰処理に当っては、佐藤総理に沖縄担当大臣の全権委任を迫り、奇想天外な政治力を発揮、沖縄の復帰処理を見事に完遂した貫録の政治家だ。当時、山中は真昼の政治将軍として東京平河町の本城(山中事務所)から強大な影響力を全国に発信している。

 現役時代、大政治家山中貞則は、雑誌(『現代公論』の前身誌」『沖縄世論』の<編者対談>の中で沖縄観や復帰前後の裏話を生々しく語った。本ブログでは、広範読者のご要望にお応えして、その全容を今後4回に分けて特別企画で連載する。

 編者対談は、1990年10月11日国会近くの山中事務所で3時間、その翌々日鹿児島に移動して5時間行われた。(敬称略)

初対面

雑誌編者、神山吉光(1990年10月)

雑誌編者、神山吉光(1990年10月)

編者 / 神山吉光 失礼いたします。今日はご多忙のところ山中先生には本誌「沖縄世論」のためにお時間を割いていただき誠にありがとうございます。         

初代沖縄開発庁長官 / 山中貞則 さあ、さあ、こちら(大部屋の中心)にいらっしゃい。どうぞおかけください。僕が代議士の成り立ての頃、東京の沖縄出身者に「神山」と言う方がおられました。(山中はしきりにその名前を思い出そうしている。)

神山 たぶんその方は、長い間沖縄県人会長を務められた神山政良さんだと思います。 

山中 そうそうその方、神山政良さん、その方と貴方はどういう。

神山 特に親戚関係にあると言う訳ではご座いません。ただ神山という同性なので親近を覚え、また郷里の大先輩ということで尊敬しています。神山県人会会長は献身的に沖縄問題に取り組み、沖縄の復帰運動にも大変に尽力された方だと聞かされています。

山中 あの神山政良さんとは度々お会いしています。神山さんがお元気の頃、衆議院本会議で私が代表質問をした時も、あの神山政良さんが沖縄問題に関するいろいろな資料を私に提供してくれました。

国政参加問題で鳩山一郎内閣に鋭く迫る

神山 あの頃、山中先生は確か野党の立場では。

山中 そう、鳩山一郎内閣の時代でたまたま私たちの自由党が野党でいた頃です。私は鳩山内閣への質問は真っ先に「沖縄問題」を取り上げた。「現在沖縄では、米軍の占領で軍用地の強制収容が開始されている。しかしあの沖縄は歴然とした日本の領土であり一県である。それに関して鳩山総理の所信をただしたい。戦前は、この本会議場にも沖縄選出の議席が四つあったはずだ。(中略)ところが今は、一議席もない。何故沖縄県だけがこの苦痛に耐えなければならないのか。鳩山内閣は沖縄県民の心を心として戦前同様に速やかに沖縄県選出の議席を設けるべきである。総理はそれについても具体的な所信を明らかにすべきである。(中略)」と。保守党の代表質問ながら真正面から沖縄問題をぶつけたことを記憶している。

神山 沖縄の復帰運動の中でとりわけ国政参加問題は、実現可能な段階的な要求として県民はそれに大きな関心を抱いていた。あの頃、復帰は10年20年後でも、国政参加は早い時期に実現できるのではないか、という県民共通のある種の期待感があったと思います。そういう時期に山中先生が衆議院本会議で、しかも代表問題の中で堂々と沖縄の国政参加問題を訴えられた、私はそれ自体に大きな意義があったと思います。あの山中演説こそがいわゆる日米両政府に沖縄問題を考えさせる原動力にもなったのではないかと思います。

山中 あの演説で鳩山内閣以上に大慌てをしたのはアメリカの在日大使館だった。(笑う)革新議員ならともかく保守党議員の演説としては困るという事だ。「困るなら沖縄の軍用地強制収容を直ちに中止したらどうか」と逆にたたみかえしてやったよ。そうするとアメリカ政府に強烈な印象を与えたのか「山中という男はどんなヤツか」とペンタゴンでは徹底的に私のことを調べあげたようです。

神山 さすがに米国です。沖縄でも高等弁務官は大変な調査力を有していて、県民は常に無用な神経を配ることを強いられた。アメリカの日本占領直後に、たとえ沖縄県民のためとは言え、山中先生があれだけの反米的演説をされたのであり、米国の調査網がいかに敏感に行動していたかはだいたい察することができます。

山中 とにかくすごい調査力、情報力だ。「山中という男は、昭和29年頃からそんなこと(反米的な言動)を言っている。それに毎食野菜を食べないと承知しないやつだ」そんな個人的な私生活に至るまでありとあらゆることを徹底的に調べ上げて、それを永久保存版でファイルしているという、それに驚きましたよ。(笑う)

神山 日本が日米戦争に負けたのも結局日米間の決定的な情報力の格差が原因であると指摘する人もいます。米国のあの情報力は第二次世界大戦に於いて地球儀的にいかんなく発揮されています。ご承知の通り、米国は日本の今後10年間の指導者になりうる政・財界の人物を今でも調べ上げているようです。あの頃、山中先生は33才の青年政治家。正に調査に値する政治家として米国は注目していたのではないでしょうか。

山中 いゃぁ、あれにはまいったよ。

国会は山中質問に大巨席が総立ち

神山 ところで時の米国政府も大慌てさせた、いわゆる青年政治家山中貞則の沖縄問題に関する爆弾質問に対して肝心の鳩山内閣はどのような答弁をされたか大変に興味があります。

山中 それは、例の大臣答弁とは随分ニュアンスが異なっていた。鳩山内閣の答弁は、「不幸にもわが国の敗戦によってもたらされたことであり、今は国民全員が耐えなければならない時期である。誠に申し訳ありませんが、沖縄県の皆さんにも施政権が返還されるまでは現行制度でご理解をいただくしか道はない。しかし、沖縄問題を解決処理する上に於いて、今の山中君の質問は中心的に配慮する考えである」と言った調子の、大変気配りの感じられる答弁であったと記憶している。

神山 鳩山内閣もその対応に随分と苦慮したのではないか。

山中 あの質問によって、アメリカ側に動きがあったことでさらに政府側も驚いたようです。私の質問の中で、「今、本土の国民がこのように元気で生活できるのも沖縄県民の犠牲があったからではないか。実に三分の一の沖縄住民が地上戦に巻き込まれて本土決戦の防波堤になったのではないか。それで心配されていた米軍の本土上陸はなく無事にわれわれは終戦を迎えて今こうして元気な生活が出来たのではないか。あの沖縄だけが戦後はまた本土から切り離されて米軍支配とはいったいどういうことか。政府もわれわれも余りにも沖縄県民に犠牲を強いり過ぎるのではないか。その沖縄県民に対する申し訳と共に、今政府にとって沖縄県民のために何が出来るかを鳩山内閣は披歴すべきである。」と迫った時には、大臣席がたじろぎ総立ちになっていたことが実に印象的だった。 

神山 ご承知の通り、すでに沖縄の施政権は米国が握り司法・立法・行政の三権を彼らが思うままにしていた。タブロイド判の新聞一つ発行するにも高等弁務官への届け出を得て発行する時代であり、情報も本土沖縄間は米軍によって統制されていた時代です。従って、山中先生にあのような沖縄問題に関する国会活動があったとは、それを具体的に知り得る沖縄県人は少なかったと思います。恥ずかしながら、私もこの対談で初めてそのことを知り改めて心が打たれている次第です。要するに、山中先生は代議士に成り立ての頃から沖縄には強く関心を抱き、沖縄問題に深く関わっていた訳です。国会に議席を持たない沖縄県民としては実に救いの神が現れたと言っても過言ではないでしょう。

山中  まぁまぁ、そこまで言わなくても私はただ政治家として当然のことをやったまでです。

沖縄での山中人気の要因

神山 本誌「沖縄世論」の<編者対談>の企画に当たりその編集会議を東京と沖縄で開いたところ、多くの方々が山中先生のご登場を希望しています。又、先般は沖縄現地で山中先生の激励会が大勢の県民が参加して実に盛大に開催されています。今は担当大臣でもない山中先生が、いったいどうしてそんなに人気があるのか、私は不思議でなりません。いったいどこにその人気の源泉があるのか。また山中先生ご自身はそこら辺についてどのようにお考えなのか.

山中  (一時沈黙の後に)知らない。私も今、自分自身のことを静かに問いかけているところです。

神山  私も沖縄出身で、沖縄担当の大臣やその周辺についてはマスコミの報道その他でだいたいは承知しているつもりです。今日まで多くの沖縄担当の大臣が誕生していますが、それらと比較して山中先生は抜群に人気があって県民から不動の評価を受けています。選挙前に政治家の後援会が選挙区内でいろいろな工作をして人集めをすることは彼等の仕事だから何ということはありません。しかし、選挙区外で何ら自分自身の身動き一つせずに、沖縄県下の指導者が自然発生的に山中先生のところには集まってくる、それは正に人間山中貞則の引力だと解します。その引力の源泉はいったい何なのか、山中先生が沖縄担当の大臣を歴任されたのはずいぶん前のことです。しかし今尚、山中先生は、衰えることなく沖縄県民から熱狂的な支持があります。

山中 かつて、屋良主席は、私にこう言ったことがある。「山中長官、私は二度選挙しているが、まだ行っていない離島もある。しかし、長官はわたしが行っていない離島・小島に至るまで全てを回りつくしている。これは、大変なことになった……」と屋良主席が言われたように、私は沖縄を知り尽くす意味からも全島を隈なく廻っています。島の人々は自分たちの主席も来たことのない島に日本の大臣が来たということでそれこそ大騒ぎです。私は島の人々に対して、「皆さんは、大臣という動物がいるの知っていますか。その動物が私です。私たちは、同じ動物、同じ人間でしょう。私は今こうして、日本政府を代表して第二次世界大戦の犠牲と米軍支配を強いられていることのお詫びに皆さんの島に参りました。」そうすると、島の人々は、急に私に親近感を抱いたのか、みんなが握手を求めてくる。スケジュールの関係で全員と握手する訳にはいきませんから、誰か最も長老の方が代表で出てくれと言ったら、どの島に行っても最長老はだいたい女性なんですね。まあ、男は昔も今も勝手なことばかりやっているから長寿は与えられない。(両者笑う) 。全員と握手を交わしたつもりで最長老と握手を交わす。ところによっては、島の人々と浜辺で踊ったりもした。そういう中から、島の人々が日頃何を考え何を訴えているかを汲み取り、それを政府の施策の中に反映させて行った。貴方が先ほど「山中人気の源泉はどこにあるのか」と聞かれたが、こうして話をしながら考えると、或いは私のあの島めぐりの政治姿勢を県民が良く理解してくれていた、島の人々の印象に今でも強く焼き付いている。そういうことが源泉の一つをなしているような気がします。

神山 やっぱり誠心誠意で島の人々と真心を持って語り合うこと。青年政治家の頃から民族魂に燃え、異民族に支配されている沖縄県民の国政参加問題を訴えるなど山中先生の素晴らしい政治姿勢は見事にして沖縄県民にこだまし、それが選挙区以外の沖縄県に於ける山中支持の要因を構成していると私は解します。

(白熱する編者対談 於:鹿児島市 山中事務所)

(白熱する編者対談 於:鹿児島市 山中事務所)

山中 まあ、それはそれで貴方の解釈として結構でしょう。二、三年前に竹下総理の後援会を開く前に、山中後援会を先にやらなければ、周囲が承知しない、自分たちの心の整理がつかないと言うことで、竹下より僕の後援会を先に開いたことがある。とにかくそうした沖縄県民の暖かい気持ちにはほんとうに心が打たれるよ。島々では手に入れ墨のある老婆を相手に、「シマチヤビニ、タエシロウバノ、イレズミノ、テオトリ、イツカトモニオドリキ」との自作の歌にのりながら、あの老婆の手をとってカチヤシイを踊ったことが今でも連想される。

神山 いやあ驚きました。「シマチヤビニ、タエシロウバノ、イレズミノ、テオトリ、イツカトモニオドリキ」それは島の風土にぴったりの素晴らしい歌です。ところで、山中先生は鹿児島県の出身。ご承知の通り、鹿児島県と沖縄県は地理的には散在している離島でつながっています。沖縄県と鹿児島県の県民性にもし相違点があるとすれば、それはどういうところでしょうか。山中先生の直感で結構です。

  (おしらせ・本稿は雑誌『現代公論』でも連載しています。)

<次回につづく>

 

毎月1日定期更新。その他必要に応じて随時、適時に更新いたします。どうぞ、時折に本ブログをお開きください。

神山吉光 沖縄事務所 〒902-0068 那覇市真嘉比3丁目14番7号(602) フリーダイヤル 0120−885−989 本人直通 070−5536−8137 FAX 098−885−4570