2017年 10月1日 更新 〈第67回〉

 毎度ご愛読ありがとうございます。
さて、次回(第68回目)は、雑誌『現代公論』冬季号発売の前後に合わせて、11月10日(金)に更新いたします。ご了承ください。

衆議解散総選挙 解党・合流へ一直進の民進党 〜離合集散 当選目当ての 無節操な政治家たち〜

「名実」を放棄した野党第一党

 野党第一党の民進党は、衆院解散と同時に「希望の党」へ事実上合流することになった。それでは9月に行われた党員、サポーターを動員しての同党の代表選は一体何だったのか。

 かつては、政権を担った政党が2日前に結成したばかりの新党に丸ごと身売りするという前代未聞の事態だ。皮肉を言えば、民進党は先月の代表選で党の再建や政策を論じ合うのではなく、党の解党方法を論じ合うべきだった。

解党宣言した前原誠司氏

解党宣言した前原誠司氏

 筆者は、9月1日更新の本ブログ(第66回)で「危うき野党第一党の民進党」という大見出しで代表選の印象について「この政党が本当に持久力のある政党なのかどうか。大いに疑問がある。」と酷評したところ、有識者から「早読み過ぎる。空論だ」という反論があった。しかし、どうもそうではなく筆者の推論が正解であったようだ。元来、民進党には、政党としての持久力がなかったのである。

 前原氏は「希望の党」への合流に当って「名を捨て実を取る」と言っているが、仮に民進党の前議員が揃って希望の党から公認が得られとしても、選挙の結果、希望の党内の当選者の中で民進党出身の議員が過半数を占めなければ、結局、前原氏は「名」ばかりでなく、「実」も捨てたことになる。

民進党の不満分子による新党の可能性

 さて、衆院選は、政権選抜の選挙であり、政党と政党の理念の戦いだ。各党は、それぞれの理念や網領に基づいて、政権公約を国民に訴え、そして、多数を得た政党が与党となり選挙で公約した政策を実現させる。野党もまた対案を提示して、互いに国会で論戦を交わす。それが真っ当な政党政治の姿である。国民もまたこのように理解している筈だ。過去にも当選のための離合集散は確かにあった。しかし、今回のような無節操な政治家たちの姿は未だかつて見たことがない。民進党の政治行動には本当に仰天どころか呆れ返っている。

 民進党が小池百合子・東京都知事の率いる「希望の党」に事実上合流する方針を決め、再び衆院選を見据えた野党連携・再編の動きが加速してきた。

 だが、「非自民勢力」はこれまでも離合集散を繰り返しており、今回の合流劇がそのまま「2大政党制」の確立につながるかは予測困難だ。

希望の党代表の小池百合子氏

 1994年12月、小池氏が所属した日本新党が現在のようなブームは巻き起こしたが、政変により同党は解党し、新生党などと共に新進党という新党を結成した。同党は翌年の参院選で40  議席を獲得、46議席にとどまった自民党に迫った。ところが、96年の衆院選では公示前の勢力から4減となる156議席しか得られずに現在の民進党のように失速状態に直面、97年にとうとう結党からわずか3年で消え去った。

 民進党の前身である民主党も2003年に小沢一郎氏(現。自由党共同代表)が率いる自由党と合併。09年には政権交代を果たしたが、政権は3年3ヶ月しか続かなかった。消費増税を巡り、小沢氏らが集団離党したのが直接の引き金で、保守系から旧社会党まで同居する「寄り合い所帯」の民主党は、最後まで一枚岩になりきれなかった。あれから4年後は現在の有様だ。

 そして、昨今、民進党の前原氏は「合流」と言っているが、迎える側の希望の党は「合流」とは言ってない。公認候補者も希望の党の理念に照らして個々に選別するという。

 そもそも一見して、希望の党の政策と、これまでの民進党が掲げてきた政策とは大違いだ。希望の党は消費増税税凍結だが、前原氏は先の代表選で「消費増税は法律で決まっている」と言っていた。

 また、安全保障政策に関しても両者の主張は相反する。憲法改正問題もしかりだ。それでも前原氏は民進党前議員の全員を丸ごと公認して欲しいようだが、希望の党の小池代表はそれを拒否している。そうなれば希望の党から公認を拒否された前議員や公認はされても落選した議員、そして、無所属で当選してきた民主党出身の議員たちが、今後は不満分子となって、再び新たな動きをする可能性もある。                                                                           

(本稿は、9月30日夕に脱稿、10月1日に更新されていることにご留意ください。)

 

ーーーーーーーーー<神山吉光が吠える・特別企画>ーーーーーーーーーーー

雑誌『沖縄世論』編者対談 回想録 山中貞則 初代沖縄開発庁長官 わが思い わが沖縄 &神山吉光② 〜編者対談で明かす沖縄戦後史の空白と忠実の裏側

前回(第1回の)のあらすじ

 初代沖縄開発庁長官、山中貞則氏は鳩山一郎内閣への質問の真っ先に、沖縄問題を取り上げ、鳩山総理の所信をただした。

そして、それが日本政府に沖縄問題を考えさせる原動力ともなった。鳩山内閣は山中質問に大慌てし、立ち往生だった。

アメリカも山中演説に神経をピリピリさせて、その「反米的な言動」の周辺を徹底的に調査し、山中をマークしたという。

 又、山中氏は、編者(神山)から山中人気の秘密を聞かれ、一時沈黙の後に「かつて屋良主席から、長官は私が行ったことのない沖縄の小島、離島、のほとんどを廻られた。これは大変なことになったと言われたが、このように沖縄の多くの人々と直接、会ってきたことが、人気の要因ではないか」と漏らした。

「忍耐と義理人情」尊い沖縄の県民性

編者/神山吉光 ところで、山中先生は鹿児島県の出身。ご存知の通り、鹿児島県と沖縄県は地理的には散在している離島でつながっています。沖縄県と鹿児島県の県民性にもし相違があるとすれば、それはどういうところでしょうか。山中先生の直感で結構です。

初代沖縄開発庁長官/山中貞則 義と耐えることだね。すなわち義理と人情です。鹿児島県や本土の人々にそれがないということではなく、とくに、沖縄県の皆さんは義理人情と忍耐には大変に強いということです。それは本土にはない沖縄独特とも言えるでしょう。

神山 ご承知の通り、昔沖縄(琉球)は“守礼の邦”と申しまして、特に他への礼儀、義理人情の面においては周辺諸国からも高い評価を得ていたという歴史的な記録がご座います。現代の沖縄県民もそういう伝統的な流れを自然に受け継いでいるのだと思います。私も郷土の県民性については、そのように自覚しています。

山中 那覇の町を散歩していても、行く人来る人すべての人が頭を下げて挨拶してくる。うっかりこちらが返礼を忘れると、かえって相手に笑われているような感じさえする。赤信号で車が止まっていても隣の車や正面の車から会釈を交わしてくれる。デパートで買い物をしているご婦人の方が、途中買い物を止めて近寄ってきて挨拶をしてから又元の所へ戻っていく、店員も同じ。公衆電話のボックスの中で電話をしている少年さえガラス越しに会釈している姿が目に映る。それは、貴方に「山中先生だからだろう」と言われればそれまでですが。しかし、私は沖縄県民の県民性がよく物語っていると思いますよ。

神山 その県民性は相手によってその動作が大きく変化すると思いますよ。歴代長官の全てにあんなことをしたのでは県民の体が持ちません。やっぱり山中先生だからです。歴代長官の中には沖縄県民に名前すら知られていない人が幾人かはいます。そういう存在価値の認識されていない人が何度沖縄へ出向いても沖縄の県民性は動作一つしないと思います。今後、担当大臣になられる方は山中先生からご教示を賜って、ぜひ、県民性が敏感に動作するような素晴らしい政治を沖縄県の為にやってほしいものです。

山中 いやあ、人様にご教示を説くような立場にはないが、とにかく誠心誠意に真心を持って一所懸命にやれば、本土とは一味違って沖縄県民は必ず反応してきます。政治家になってあれを自分がやった、これも自分がやったと言わなくても沖縄県民はそのことをきっちりと見きわめています。

神山 ありがとうございます。どうか、担当大臣になられる方は今の山中先生のお言葉をしっかりと心に受け止めておいてほしいと思います。

山中 それからもう一つ大事な県民性の中に“耐える”すなわち“忍耐”というのが沖縄県にあるのではないか。かつて、沖縄県は薩摩藩の琉球侵攻にも耐え、そこで武器を禁止されたら沖縄の人々は空手に専念し、そしてまた明治初期の廃藩置県ではあの琉球処分にもとうとうと耐えてきた。そういう耐え抜いてきた経過の中で今度は又我が国の敗戦によるあの米軍の沖縄支配でしょう、そこでも実に四分の一世紀に及ぶ異民族の支配にも耐えて耐え抜いてこられた。これは、沖縄県民ならでは、出来ることではありません。あの米軍の沖縄支配の初期から県民の間で盛んになったのはあの空手と琉球舞踊でしょう。ということは、県民の豊かな心とその明るさ、そしてどんな圧力にも自分たちは決して負けないぞという不倒不屈の精神があそこにはあったと思います。さあ、本土の連中にそんなところあったかなあ。(笑う)要するに、沖縄県民のあの心の明るさ、そしていかなる苦難苦闘、何者の圧力にも耐え抜く強い忍耐、不倒不屈の精神こそは他府県にない沖縄県民の素晴らしい県民性だと思います。

神山 光栄です。さすがに山中先生だけあられて、沖縄のことを熟知され、県民の心の底まで正確に見抜いておられます。恐れ入りました。

山中 担当大臣としてこれだけのことを知らないで、あの民族的な復帰処理が出来たと思いますか、しかしそれは冗談だよ(笑う)

神山 (笑う)冗談とはもったいない、それは全く同感でご座います。脱帽です。手前味噌になりますが、沖縄の学校には、不倒不屈、苦難苦闘に耐えて勝つ、質実剛健、忍耐などの精神面を歌った校歌が多くあります。それらの校歌はだ いたいが県民性を大意としてそれを基礎に作詞されています。あの不倒不屈の精神は、子供の頃に校歌でも歌いそして自らの人間形成となり沖縄の風土にも根強くそれが土着しているのだと思います。改めて立派な県民性だと自負します。

沖縄大臣の就任は総理の全権委任が条件

神山 山中先生は担当大臣の頃、実にテキパキと沖縄の復帰準備を進めておられた。復帰前年に開かれたあの沖縄国会で成立した法案は六〇〇本を越えていたと思います。

山中 いやあ、あの時は大変でしたよ。連日徹夜状態。国会はそれこそ毎日が沖縄問題の審議でしょう。

神山 山中先生の政治的な手腕力量もさることながら、どうしてあれだけの仕事が成し遂げられたのか、又佐藤総理は組閣に当たって山中先生にどのようなことを話されたのか、そこら辺も大変に興味があります。

山中 組閣の際に例のあの呼び込みが始まって、「山中来てくれ」というので行ってみた。そうしたら、佐藤総理が「総務長官をやってくれ」というので私は「役不足でご座います」とそれを断った。立ったまま引き下がろうとしたところを総理が再び「山中君、今頃そんな調子では困るのではないか。いったいどうしたのか君」と言われたので私は、「総理あなたはどうして沖縄担当大臣をやってくれと言われないのですか。沖縄の復帰準備の仕事を私にやってくれとはっきりおっしゃらないのですか。日本の政治家で沖縄の仕事をやってくれと言われれば、それを断る政治家はいません。そう、おっしゃってください」そうすると佐藤総理は大きな目をパチパチしながら、「山中君、何も君とオレとの仲でそんなことを言い交さなくても……では、言ってやるよ。山中君、沖縄担当大臣として沖縄の復帰準備の仕事を君に頼む」と総理はそう言われた。

神山 これで沖縄担当大臣(総理府総務長官)山中貞則の誕生ですね。

山中 総理が改めてそう言われたので私は引き受けることの返事を保留したまま佐藤総理に次のように引き受ける条件をぶっつけた。「総理それには条件がご座います」と言うと総理は大声で「まだあるのか」と言われた。私は「山中はまだ引き受ける返事もその条件も何一つ申していません」と言うと総理はまたあのドラ声で、「まあいいから言ってみろ」ときた。昨日のように思い出しますなあ。

神山 その条件はいったい、どういう内容でしょうか。あの時の総理のやりとりにも興味があります。

山中 ……(あの時の条件を明らかにするか、どうするかを一考の様子)

神山 本誌「沖縄世論」の編集会議でも大勢の方々の意向が山中先生には、大いに語っていただきたいということだった。この企画の意義もそこにあります。またこの対談の中心的な目的もそこにあります。ご都合が許せば是非お聞かせ願えれば幸いです。

山中 まあ、今日はこうしてお互いに見たいテレビも見ないで頑張っているから……(では話そうという様子)

神山 ありがとうございます。

山中 私は、その時に佐藤総理に沖縄担当大臣を受けるに当って、明確にその条件を言ったんです。「総理、国の外交権を除いては総理の指揮権も含め一切の権利を私に任せてください。その条件が認められましたら、大臣を引き受けましょう」と。

神山 それに対して総理の反応は。

山中 驚いたのか赤顔になって、急にあの大きい目を瞑り両手を組み考えこみました。それでも私は話を続けた。「総理、沖縄は現在も車の交通方向一つとっても反対、通貨も違う、それをたったの正味二年で本土他府県に近い状態で復帰させるのは大変なことです。この二年間で途方もないと思うようなことをやらなければ、復帰準備は進みません。沖縄の社会はそれこそ大きな混乱をきたします。他の大臣がいろいろ言ってきたのでは、復帰の仕事はやれません。大臣を引き受けるに当って、全ての権利を山中にお任せいただきたい。私は自分の為にそう言っているのではない。私自身はどうなろうと構わない。私は去った戦争でわれわれ一億国民を守るために住民もろともに戦いそして破れ、今も尚苦しみに耐えている九十五万沖縄県民のために申し出ているのです」と。

神山 なるほど、佐藤総理に決断を迫り総理の気持ちを動かした言葉とはその事ですか。そこで佐藤総理はどうおっしゃいます。

山中 いやあ、佐藤さんは、まだ、目を開こうとしない。間もなくしてあの大きな目がパッと開き「山中君、一応座りたまえ」とだけ静かな声で言われたと思う。私はその時まで起立したままだよ。だって条件が認められなければ大臣を引き受けないというのだから座る訳にはいかないでしょう。私は佐藤総理の顔色から総理の意向がだいたい読めたのでその時初めて座ることにした。しかし、総理はまだ回答しようとされない。また目を閉じられた。私も黙る。その間十五分間程度だと思うが、随分長く感じられたなあ。

神山 それは大変な決断だと思います。

山中 そうすると総理は突然目を開き、

私の方に身を寄せて、「山中君分かった。君に任そう」と切り出した。少し間をおいて、「山中君、オレが(昭和四十年八月) 沖縄に行ったのも君の進言で君に引っぱられて行ったようなものだ。君なら出来る。沖縄の復帰準備は君ならやれる。君に任そう。沖縄県民のために、君の思うように大いにやってくれ」と実に明確に佐藤総理は回答してくれました。私は、総理のその言葉に対して「山中はやりますよ。奇想天外な事をやりますからどうぞ見ていてください。ありがとうございます」と感謝の意を告げて退ったんです。

神山 なるほど。その瞬間で、人間山中貞則と沖縄県の関係は決定的になった訳ですね。

山中 その通りです。あの瞬間が、今日あることの起源にもなっていると思います。

神山 山中先生、ところで佐藤総理は何かおっしゃいませんでしたか。

山中 いかに?

神山 総理は、「山中君は一体何処の人間だ。鹿児島の人間か、それとも沖縄の人間か、この際はっきりしたまえ!」と。(冗談) 

山中 (笑う)だって貴方、そんなことないでしょう。沖縄担当大臣といっても、総理府総務長官、開発庁長官というのは単に沖縄問題に限らずいろいろな仕事を抱えている役所でしょう。鹿児島のことも、九州のことも、そして国家に関わることもことも大いにやりましたよ。今日は、たまたま「沖縄世論」の沖縄をテーマとした対談ということに限らせているのであって…。鹿児島のことも大いに話したいですよ。それでは全部話しましょうか。(笑う)

神山 いいえ。今回は誌面の都合もありますので、そこら辺は鹿児島の方々によろしくご理解いただいてやっぱり沖縄関係に話を絞りましょう。(笑う)そこで、佐藤総理は結局、山中先生の要求に応えてほぼ全権を先生に託す訳ですが、佐藤総理はその時の約束を最後まで守られたのでしょうか?

山中 佐藤総理も、あの沖縄国会での沖縄問題を審議する委員会はほとんど出席しています。あの時、総理は大変に熱心な動きをしていました。そういう総理ですから私との約束も最後まできちっと守っています。

神山 総理も細かい指示を大臣に発することはない。大臣も総理の指示を仰ぐようなことはない。勿論、国家の外交権は別です。

山中 それが佐藤さんと私の固い約束であり不動の信頼関係です。だが総理はさすがに一国の宰相だけあって、私が何を考え、何をなし、そして今どうなっているかという情報だけはしっかりと取っていたようです。

神山 困って、山中先生から相談に行ったということは?総理は、山中大臣から何かを言ってくるのではないかと心待ちに構えていたような気がします。

山中 相談に行くなら沖縄県民のところ、沖縄へ相談に行くよ。実際に何度も足を運んだでしょう。(笑う)そうだ!特に困ったことといえば、そうそう、あの時ぐらいのことかな。

神山 それはどういうことでしょう。

  (お知らせ・本稿は雑誌『現代公論』でも連載しています。)

<次回につづく>

 

次回は11月1日更新、毎月1日定期更新。その他必要に応じて随時、適時に更新いたします。どうぞ、時折に本ブログをお開きください。

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