解り安く、面白く、パンチの効いた時事評論

神山吉光が吠える

2015年6月1日更新〈第36回〉

 

翁長訪米の厳しい予兆
~新聞報道に見る翁長知事のハワイ行動~

 

ハワイ州選出議員らの対応

 翁長知事は米軍普天間飛行場の早期返還と名護市辺野古の新基地反対を直訴する為に、去る5月27日に沖縄を発って3日間ハワイに滞在し、6月1日現在はワシントンに滞在中だ。とりわけ3日間のハワイ行動を見る限り、新聞は一面的に評価した内容で報じているものの、実際にはそれほどに思わしくなかったのではないか。
 それはハワイ州選出の米上下両院3人の内2人の議員とデービット・イゲ ハワイ州知事の反応を見ても明らかである。
 翁長知事が去る5月17日の県民大会の模様を報じた沖縄の新聞を提示しながら、辺野古に新基地は造らせないことをことごとく強調し「日米同盟の成熟度が、今、世界から問われている。工事を中断して、沖縄を交えた話し合いの場を設けることに協力して欲しい」と訴えたことに対して、5月29日の沖縄タイムスによると<メイジー・ヒロノ上院議員は、日米両政府の問題と前置きした上で「ハワイにも基地はたくさんあるが、運用について米政府は地元住民の意見を聞くし、そうしなければならない。日本政府は沖縄の人たちともっと話し合うべきだ。」と疑問を示した。翁長氏には「もっと力強く訴え、解決してほしい。」と激励した。>とあるが、要するにヒロノ上院議員が言っていることは「沖縄の米軍基地問題は日米両政府の問題だ。翁長知事はここハワイに来る前にもっと力強く、日米政府に訴えて解決して欲しい。ハワイにも基地はたくさんあるが、私たちもそうしている。」と筆者は理解している。翁長知事を誕生させた沖縄2紙の報道は注意深く読み解く必要がある。

 また、5月29日の琉球新報によると、トゥルシー・ガーバッド下院議員は翁長知事の説明に対して、「新基地が辺野古に出来ない場合は日米両政府と沖縄で妥協案を探る必要がある。次は提案を持って来て欲しい。」と応じたとあるが、一方、同日付の沖縄タイムスには「辺野古の計画が止まったときにどうするか、次に会う機会があれば、もっと前に進めたい。」とある。「次は提案を持ってきなさい。」と 「次に会うときはもっと前に進めたい。」では発言者(ガーバット氏)のスタンス真意が全く違う。いったい両紙のどちらが真実なのか。いずれも翁長知事の記者会見から取材した記事だとは思うが、両紙の扱い方がこんなに違うようであれば読者は本当に困る。
 仮に、琉球新報に書いてあることが正解だとした場合、翁長知事には今のところ、普天間基地問題で対案などがある筈がない。辺野古反対を叫び、それを県政の柱とするだけでも精一杯だ。従って、ガーバット 議員への協力要請どころか逆にガーバット 議員から翁長知事は重荷を投げ掛けられたことになる。 ハワイ 州選出の中で ブライアン ・ シャーツ上院議員だけは辛うじて協力を約束したと報じられたが、シャーツ議員は3日後に日米両政府が合意した辺野古移設を支持する声明を発表した。

 

ハワイ州イゲ知事も拒否反応

 次に祖父母が沖縄県出身で県系3世のデービット・イゲ州知事の反応だ。
 沖縄側が最も期待し、また、強く関心を寄せていたが、新聞報道によると残念ながら、イゲ州知事は「沖縄の米軍基地問題に関することは日米両政府が決める。米側では連邦政府が決める。従って、ハワイ州としては関与できない」と応答し、翁長知事の説明に深入りすることを避けたようである。せめて県系のイゲ州知事くらいは「沖縄は祖父兄の古里でもあり、ハワイ州が沖縄の為に何が出来るのかを考えてみよう」という程度のコメントが出来るのではないかと期待したがそうではなかった。
 つまり、翁長知事は自らの訪米直訴の目玉とした米軍基地問題に限っては県系のイゲ州知事からも、突っぱねられたということだ。

 そこで、もう一つどうしても理解に苦しむのはイゲ州知事の返答に対する翁長知事の記者会見でのコメントのことだ。翁長知事は「私の言っていることを同じウチナーンチュのルーツを持つ知事なので理解している表情だった。私が逆の立場でもそうした。」(註:5月31日 沖縄タイムス)
 翁長知事は「・・・私が逆の立場でもそうした。」というのなら、イゲ州知事がいう通り沖縄の米軍基地問題は日米の政府間だけの問題で国内問題であることを自ら認めたことになり翁長知事の発言(コメント)は、今回の訪米趣旨とも矛盾するのではないか。翁長知事は今回の訪米で相手方の拒否反応の印象を出来るだけ薄めようとする配慮が記者会見の随所にあらわれているが、それでは真の解決を遠ざけるだけである。「私が逆の立場でもそうした。」と言うのは余計だ。6月1日から始まるワシントンでの本格行動を前にした、ハワイでの要人との会談について新聞はあのように報じているが、本当はもっと厳しかったのではないかと筆者は見ている。